プラチナプラスチック

雑記のようなもの

思いやりより大切なこと

戯言

思いやりは2番目

ボトルネックという言葉がある
これはフローの下流側で流れを滞らせている状況をいう

人がコミュニケーションをするとき、必ずアクションする人とされる人にわかれる

思いやりは対象の人に配慮して、何かをしたりすることだが、アクションする人は配慮をする心しかなく、結果としてされる人がどう思うかは度外視される
つまり、相手のためにしたことは必ずしも相手のためになるわけではない、ということ

どんなにアクションする側が側から見ても善良だったとしても、される側が適当な理由をつけて「思いやりがない」とすれば、アクションする側が悪者になる
問題は悪者になることではなく、悪者になりたくない感情によってアクションをしなくなる可能性があること
コミュニケーション自体することを避けられるようになる

アクションされる側の采配がボトルネックでコミュニケーションが阻害されることが問題だ

1番は?

この話は、アクションされる側の受け入れる心が大事なんじゃないか、というところに着地する

コミュニケーションがされなければ、そもそも人間関係は成り立たない
一番恐れないといけないのはそこであって、決してコミュニケーション上で「酷いことを言われる」ことを恐れるべきではない

ここでの受け入れることとは、許可・肯定することではなく、一度は咀嚼してコミュニケーションを続けること
我慢ではない

思いやりを一番にしては、アクションされる側の責任が軽すぎるのだ

おわり

気遣い合う、思いやりだけで成り立つ関係は理想でしかない
それは、される側にすべて采配があって、いわば時限爆弾を抱えてる状況と同じだからだ

気遣う心も大事だが、それよりも受け入れる心があれば、その人のありのままをだせる本当に良好な関係を築けるのでは、という話



と、人間関係を眺めてたぼっちがほざいてるのでした